大野甚五郎英令おおのじんごろうえいりょう
生没年不詳
江戸時代後期の石工。1783年(天明3年)に門弟27名とともに鋸山の岩を彫刻し、日本寺の薬師瑠璃光如来坐像(日本寺大仏)を造った。造立当時の高さは9丈2尺、およそ37.7メートルで、日本最大の磨崖仏にあたる。
木ではなく岩を彫る
このアーカイブの作り手はほとんどが木を彫る仏師だが、磨崖仏は岩を彫る石工の仕事にあたる。木彫のように材を継ぎ足すことができず、削った岩は戻せない。日本寺大仏は風雨の侵食で江戸時代末には崩壊状態になり、1960年代に修復されて像高が約7メートル低くなった。